昭和45年04月10日 月次祭
今晩の前講を青年会の石井信司さんが勤めておられました。開口一番、もう間近に春のご大祭もせまっておりますのに、一向に信心、大祭に対するところの修行もできず、皆さんと足並みがそろってないということを、相すまんと思いますと、いうように申しておりました。私はそれを聞かして頂き、途端にね、皆さんが大祭へ大祭へと、大祭へ向かって足並みをそろえておられる。
その足並みに揃ってはいない、と信司さんは言っておりましたが、まあだ足並み私を始め出来ていないんだから、まあだ信司さんそう心配せんでもええ、今からでもいいというような気がいたし、お話聞きながらそんな気がしました。どうでしょう皆さん大祭を10日後に控えましてから、そのための真剣な取り組みができておるでしょうか。愈々天地の親神様のお喜びを頂けれる。
ご大祭をどうでもおかげ頂かせて貰わなければならんと、その事に本気で取り組んでおられるでしょうか。そりゃおられる方もございましょう。けれどもまあだ合楽全体が大体足並みがそろっていない。第一私自身の腹もまあだ本当に決まっておる様であって、決まっていなかったんだなと、今日気付かせて頂きました。どうぞひとつもう10日間です。10日後に天地の親神様のご大祭が、まあ奉仕される訳で御座いますから、お互いが一生懸命になってもならんでも、それはお祭りできましょうけれども。
本当にお祭りを境にです、私共がまあ一段と信心も進めさして貰い、又おかげのルートもつけて頂きたいと、かように願うので御座います。最近はもう口を開けば和賀心と。今年という年柄は、もう愈々容易ならない年だと。合楽いわばまあお道の信奉者全体がと言いたい所だけれども、先ず全信奉者に先がけて合楽の信奉者だけでも、姿勢を正さしてもらい、愈々全ての中から和賀心を追求していこうと。
とにかく和賀心時代にもう突入したんだと。ね。しかもそれは世界総人類のいわば上に、ね、その助かりを願いとして和賀心ほど素晴らしい事はない、素晴らしい心はない。あらゆる宗教あらゆる宗派がこの和賀心を根底にしなければ、宗教者自身も助からない。信心のある者ない者を問わず、どうでもそういう一大運動を起こさなければならないと、皆さんが耳にタコが出来る程にお聞きになってみえられた事で御座います。
ですけれども、人間というものはね、人間というものはもう本当に、「ああどうしてこんなに思い上がりが強いのだろうか」と、私は今日しみじみそれを感じました。ね。成程その事は素晴らしい。和賀心追求ほど追求しがいのある信心は、又とはないそれも事実である。けれども和賀心和賀心いや和賀心運動だというふうにです、いわば(笑)何かそういう雰囲気の中にです果たしてどれ程、自分の手元足元ん所を見極めて、本気での信心が修行が出来ておるだろうかと思わせて頂く時にざんきに耐えません。
先日五日の壮年部会に、大変いい会合がございます。皆さんここの会合で私が膝つき合わせてお話をするのは、合楽会と壮年会だけでございます。もういつも有り難い会合です。どうぞひとつ壮年部の方たちは、あの振るっておでかけ下さい。ね。どうぞあの菊栄会の方たちは当然壮年部ですから、当然出席なさらなければいけないのですけれども、菊栄会の殻の中に入ってしまって、壮年会なんか程度の低いとのごとある思い方をしておるような向きはないだろうか。
ここにひとつ猛反省、大反省をさして頂いて勿論私を始め、おかげを頂いていかなければいけないと思うのです。中で、久留米の石井さんがこのような発表を致しております。この人の発表の場合いつも私、実に興味興味と言うと、もうそれこそ期待しております。どういうふうなところを通っておるだろうかと。もう皆の確かに真似のできない信心を頂いておる人ですね。
いつも申しますようにこの人は、ね、腹を立てたら損すると、ね。「この方の道は喜びの道で開けた道じゃから、喜びでは苦労はさせん」と仰るが、その喜びと言う事はまあだちょっと難しいけれどもです、例えば喜べんに致しましてもです、ね、そこで腹を立てなければならない様な時でも腹を立てん。いいやもうそれをね、利害関係に直接関係があるんだから、それを信じきってるんです。清さんは。ね。
私はもう本当にそれをね、実際に行に現しておると言う事は、もう見上げたもんだと思います。所がねその清さんのです、とても腹かいたら馬鹿らしいと。もう利害関係に直接直系するんだと。だから人がひどいことを言やあ、ひどい事を言うたほど心の中でしれーっと笑うごたる気持ちが起こってくると言う訳なんです。けれどもねそのまた内容と言う様なものをです、今度はしみじみとそのことを、まあいうなら打ちあけるように、話をしておられるのを聞かせて頂きまして、はあ素晴らしいなと私は思うたです。
と言うのはね、やはり、その泣き面に蜂といったようなことが、あるわけなんです。ね。やっぱ、心の中でしれーっと笑わねば、笑えるような時ばっかりないことがあるんです。ね。そういう時にです、神様に御祈念をさして頂きよったらね、「ベソをかく」と頂いたそうです。ね。「ベソをかく」と。ね。いわゆる悲しい顔をすることです。途端にね、清さんの心が開けたと。
はあこれだと自分はもう小さい時から、もう小学校に通う頃からです、自分はもう非常につまらん。友達が第一できない。ね。いわゆる学校ではもう全部、皆からいじめられる。そしてようベソをかいて帰っておった自分を思い出さして頂いて、壮年にいたっておる今日でもやっぱり同じであるということに気が付いた。ね。そこでです自分というものを卑屈に卑屈に思わせて頂いて。
ベソをかいておった自分がけんかしても負くるし、人のように中々弁も立たんし、言い訳をしようと思うても言い訳ができないし、そこにベソをかいておったけれども、そこをね信心と結びつけてです、「生神金光大神、親先生」を唱えてです、ね、ベソをかかせて頂くということの味わいを味あわせて頂いておるところ。私はそれを聞かせて頂いて、話の途中に、「清さん素晴らしい」と私は申しました。ね。
和賀心和賀心と今合楽で言われておるがです。そう和賀心ばかりにいけない。いわゆる自分の思い用にならんどころか、泣き面に蜂と言った様な事もあるんだけれどもです、そういう時に赤面弁慶になってその事に打ち向かっていくという、いわば事ではなくてです。ね。最近ある先生が前向き前向きの姿勢、ね。行徳先生が書いておられます。あっ「前向きに生きる」と言う事の、でこんな厚い本を書き現しておられます。ね。
けれどもその、私はねあまりに前向きに、前向きにという姿勢と言う事はですね、自分の手元足元を振り返ると言う事を知らないと言う事は、是は危ないと私は思うです。ね。そしてそれがですんなら、調子のええ事ばぁっかりありゃいいけれども、ほらやっぱり喜ばにゃ損する、腹立てちゃ馬鹿らしかと言う事ばぁっかりでいきゃよいけれども、これだけは腹にすえかねると言った様な事もあるけれども、それをですそれを表面に出さずに、ね、いや出さずじゃない、出しきらん自分である言う事。
そこでベソうつむいてベソをかくというわけなんだ。ところが先生そのベソをかくその裏からです、そのそこからですもう神様は何とも言えん愛撫の手を差し伸べて下さるというのです。私は「素晴らしいな」と私は本当に思いました。そして、私にもそういうようなものがあったなと気付かせて頂いたんです。そして私はどう言う所がそげんかなと、実際自分もそう思うけれども、漠然として分からなかった。
皆さんあの和賀心のね、例えば有難い勿体無いという素晴らしいその稽古をさして頂く中にはです。有難いなあ勿体無いなあと言う事と同時にです、ね、やはりベソをかくということ。例えばよある人が丁度その会合に、会合にと言うが、大体壮年会の方じゃなかった方が、2、3人参加しておられた。その人は大変難儀な問題で、親子関係の問題でですね、もう腹におさめかねて、そのお参りをして見えておりました。
それをね清さんのその発表を聞かせて頂いてから、はあもう本当にこういう時に私が、その例えば子供なら子供でん勝とうと、子供のくせにとこう思うその心がね、助かっていなかったんだと。それを自分で自分の力で子供だってどうにもできんのだから、自分の言うようにはなってくれんのだから、親の喜ぶ様な事ばっかり言うて、言うたりしたりしてくれんのだから、そういう時には親の不徳であろう。
親の不行き届き、親の力不足であるということを思うたら、そこにねベソをかかせて頂くという気になりゃあ、有難いなと言う訳なんです。もうその晩から有り難い。あくる日参ってみえてからです、もう先生ほんなベソをかいておりますとです、ね、もう本当に神様が確かに愛撫の手を差し伸べて下さる。「お母さんどうしなさったのっ」ちゅうてから嫁が言うて来る「んね。色々考えよるたいっ」ち、ふうってベソをかいた。
と思うたら嫁がまあ「ああじゃないですか、こうじゃないですか」と言うて機嫌とってくれる。それがまた嬉してベソかきながら、有り難涙が流れるというわけである。はぁ和賀心のねひとつを極めていこうとするその過程において素晴らしいと私は思うたです。ベソをかくということ。ね。是はその性格による事でございますからね、そりゃベソをかかんで、反対にいく人もありますよ。
今度御本部参拝から帰って来てから、吉井の熊谷さんが、ここでお届けをされるんです。先生今度の御本部参拝、汽車の中でいろんな話がありました中にです。光昭先生のお話が(笑)、光昭のことなんです。ね。光昭さんのお話が出ました。先日こちらに泊まらして頂く時に、一緒に休まして頂くから、光昭さん何か信心のお話をして下さいっち、言うて言いましたら、僕達おば様達にするごたる話ができるもんですかっち。
まあそげな事言わんで、一応して下さいっち言うたら、その光昭がこういうふうに、まあ言われたとこう、熊谷さんが言われる訳ですね。僕もねいつもこう朗らかんごとしとるばってん、やっぱ時々は泣くごとある淋しか時もある。うんね。所が僕はそういう時にですね、僕はベソをかかないって、いうならば。今日のベソと言う事をから言うと。そういう時にはもう努めて努めて明るくするっとち。
もう特に年寄りを大事にすると、おばあちゃんがとっても喜ぶ。その喜ぶのを見よるとね、こっちまで嬉しいなってくるっち。僕はね、本当に悲しい時とか苦しい時にはね、僕がだから、一生懸命、朗らかにしておる時には、ひょっとすると反対に悲しい時かもしれんという意味の話をしてくれた。「はあ、素晴らしかっ」ち思うたっちゅうわけです。だから、そういう生き方もあるんです。ね。
そういう時にベソをかくということも、素晴らしい事ながらです、そういう時に自分の心には、明るいとか朗らかというようなものはないけれども、それを努めてする。昨日私ども、福岡に参ります時にお食事に朝、あっち、食堂に立っとりました。そしたら何気に入らんか知らんけれども、家内がぶうっとしてから、(笑)、しとりますもん。私がどうか言うたけんじゃろうと思いますたい。
そうばってん、私も思い当たらんですもん。何どうしてあげんごとじゃろうかと思いました。したらちょうど、光昭が、あの、ご飯を頂きにまいりました。もうその雰囲気をすぐ感じとったわけですね。そしたら「お母さんお母さんお母さんっ」ちゅうて、けたたましい言うんです。「何の、せからしかっ」ちゅうて、(笑)「用はなかばってん、お母さん、ち言うてみろうごたったいっ」ち。
途端に家内が笑い出しました。と言う様にですね、そう言う様なものを持ってる。だからこれ、性格ですよね。清さんの、だからあり方。んなら光昭のあり方それをね、お互いがね、実際は両方とも持っておるんじゃないかと思うです、厳密に言うと。ですからそれを使い良か方を使うたらいいわけなんですよ、いうなら。ね。本当に苦しいけれども、ね、努めて朗らかになろうと、努めて朗らかにあたると。
それでもどうにもできん時には、いよいよ本気でそのベソをかくことです。ね。そこからね、神様相すいませんという自分の無気力さというか、自分の無力さ加減というものをね、分らして頂くところからね、和賀心へ入っていくことができると私は思うんです。ね。今日、私は気付かせて頂いたんですけれどもね、ね、私は、私も大体そういう性格があるが、どういう時に私はベソをかくだろうかと自分で思うてみて、はあ私はこんな時にベソをかくんだなということです。ね。
しかもそれがね、そのベソをかくところから、まあ素晴らしい信心が展開していくんです、いつも。私がいつもベソをかく時にはね、天地が私の心のままになって下さらない時です。例えば今日、合楽のお月次祭に雨が降ることはないと、いわば言うておるほどしに、まあ、豪語しておるわけですけれどね、言うならば。ところが今日は、善導寺にお参りをさして頂く時分はどしゃ降りでした。
それからだんだん、で夕方おかげで、はあおかげ頂いたなあと思いよったら、また夕方から降りだした、しかもどしゃ降りである。もう途端に心がね、くうっとなってきた。ね。もうそれこそ、神様に一撃をくうたように、くうっとした。といわゆるベソをかいた。ね。そこで初めて気がつかせて頂いた。信司さんが言うておられる、もういよいよ、10日後にご大祭をひかえておるのに。
皆さんが大祭のための修行ができておられるそのリズムに自分がのりきらんでおる私が相すまんと思いますと言うたが、信司さんだけじゃない、私をはじめ、皆がそれであるということ。このままでいったらそれこそ、和賀心和賀心で、和賀心で、もうそれこそ、突入していかなきゃ、いったところであろうとこう思います。ね。いつも、ご大祭間近になりますと、本当にお詫び。
もうとにかく今度のご大祭はお詫びに徹する以外にはないといったように、いつも申しますけれども、今日は有り難い。この度は10日前にそれに気づかせて頂いた。それも神様からこのように、おしかりを頂くような羽目になってから、ベソをかいて、ベソかきながら、神様へすいませんと、霊神(れいじん)様へ御挨拶を申し上げる時には、ここは屋根が、ですからもう、雨の音がじゃじゃ降り聞こえるんですよ、ここで御祈念をしておりましたら。ね。
もう御霊様にもお詫びを入れまして、御霊さまからもどうぞ、お詫びをして下さい、お詫びをして下さいと言うて、願わせて頂いた。ね。御祈念がいよいよ、始まって、私がお祝詞を奏上させて頂く時には、おかげで雨がぴったり止んでおった。今また降りだしたようですけれども、ね。言うならばですね、神様が私のその詫びをね、詫びを許されたわけじゃないけれども、ね、それを許してやろうとなさるその験が、私は感じたんです、今日のお祭りの中に。ね。
私はいつも、私がベソをかく時にはね、天地が私のままになって下さらない時。はあ、そういう時に私は確かにベソをかくなと。そしてそのベソがです、いつも次の信心に必ず飛躍しておるということです。残された後10日間、もう本気で、ひとつ、詫びて詫びて詫びぬかせて頂いて、もう本当に「詫びれば許してやりたいのが親心」と仰る、その親心に浴して、私どもは今度のご大祭を、頂かせて頂きたいと腹を、まあ決めさして頂くことができました。ね。
皆さんどうかひとつ大祭を10日後にね、ですけれどもその10日前に私が気づかせて頂いたのでございますからね、信司さんじゃないけれどもまだ、その言わば大祭を迎えられる信心にお互いが便乗していない。ね。だからお詫びという信心に皆さんが便乗して下さって、ね、詫びて詫びてすいませんすいませんばかりじゃいけんのです。ね。本気で詫びたら改まり改まったらそれを、修行に移さして頂きましてから、ね、
お許しを頂いて、いうならば今度のご大祭こそ、お詫びのご大祭ではなくて、本当の意味においての御礼のご大祭でありたいというふうに願わして頂いたのでございます。どうぞ、おかげを頂きまして、私どもが何か知らん、和賀心和賀心で、あまりに、この、前向きであり過ぎたように思います。ね。あまりにそのことに夢中になっておったように思います。そして、手元のところ。
足元のところが乱れておることが気づかなかったようなものを感じます。ですから私はそれこそ詫びて生まれてくるところの和賀心。ね。改まって生まれてくるところの信心の喜び、ね。そういうおかげを頂きたい。今日、善導寺の森山さんが今晩の月次祭にお参りして来て、兄さんの方です。「先生、私は、あの和賀心和賀心と親先生が仰られるようになってから、和賀心ということが何という素晴らしいことだろうか」と。
思わせて頂いて以来おかげでまだ一回も腹を立てませんて言っております。今日そのお届けをしております。ね。ですから、本当にそういうふうに精進するということは大変有り難いことですけれども、この和賀心というのがんなら、腹を立てんということだけでは決してないのでございますから。ね。腹を立てながらでも、先ほど信司さんが言っておりましたよ。和賀心があるのです。ね。
それは和という例えばあのう、平田さんあたりの場合なんかはそうでしょう。ね。平田さんあたりの場合なんかはもうそれこそ、閻魔さんのような顔をしてから怒られるでしょうが。ご結界をにらみつけとって、先生どんでもおごんなさるような勢いでしょうが。それでいてあの人の心の中が和賀心である証拠にね、そのあの人の信心の和が天地に繋がっておられる証拠に、あのようなおかげが頂けておられるでしょうが。ね。
だから和賀心というのは、絶対おかげが伴なうというもので、なからなければならないと言う事なんですよ。ね。所謂和の心和の心には問題がなくなり、賀の心には喜びが伴なうと仰せられます。そういう和賀心を求めていくと言う事ですから、これは大変なこと。だから、その事だけに一生懸命、私どもはこう取り組み過ぎて来た感じがする、私自身。ね。そして今日の10日のお祭りに。
言わば天地が私の言うことを聞いて下さらないと、言う所からです私が泣きベソをかいて、そこから気付かせて頂いた事は、はあおかげで大祭10日前で良かったという事であった。このまま調子にのり過ぎておったら、どういうご大祭になったであろうかと思われる。ね。まあだ10日間ある。その10日間をです、本気でひとつ、詫びそして改まり。ね。「詫びれば許してやりたいのが親心」というその、許して下さる験をね、体験の上に頂かせて頂きながら、その喜びをもってのお祭りであればです。
私はいよいよ、御礼の御(おん)大祭が、仕えられることを有り難いと思います。そういうお祭りをお互いでひとつ、仕えさして頂きたい。願いを立てよう、今晩ようやく私、気がついたんです。ね。ですから信司さんが言われるように、まあだ足並みを揃えて、だからここのところに、お詫びということによってです、お互いの足並みを揃えていきたいと思います。
どうぞよろしゅうお願いいたします。